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ゆめ か うつつ か
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突然だが、わたしは蚊に悩まされることがほとんどない。

蚊に刺されやすいのは若い人や汗っかき、アルコールを摂取した人……つまりは代謝がよく、体温が高い人らしい。

わたしは比較的代謝がよく体温も高いほうなのだがしかし何故か、ここ二十年近く、蚊に刺されて困ったということがないのだ。夏、草深いところに居ても、決まってわたし以外の誰かが蚊に刺されることになる。一方わたしはなんら痛痒を感じないので、これはもう、蚊に刺されにくい体質なのではないかと勝手に思っていた。

ところがである。

今朝、新聞を読んでいたら、「同種の蚊に大量に刺されると、痒みのもととなる分泌液への抗体ができ、刺されても痒くなくなる」という記事があり、わたしは思わずウームと唸ってしまうほど納得したのである。

というのも、わたしは昔とある海外友好団体の計らいでシベリアの河畔へゆき、限りなくサバイバルに近いキャンプをしたことがあるのだが、それがとにかく凄かった。シベリアの夏は短い、とは言えちゃんと暑いし、短いがゆえの生命の氾濫、すなわち虫・虫・虫! 虫の嵐! 実に蚊と虻の渦に投げ込まれたかのような日々だった。テントの幕に蚊がぶつかってくる音が絶えず細かい雨のように聞こえてくるわ、スープは飛び込んできた蚊でたちまち黒くなるわ、そのときわたしは3日ほどで百数十ヶ所以上蚊に食われた。真偽は知らず、同行者の中には蚊に食われすぎて貧血になったという人まで居たと聞く。

……つまり、わたしは蚊に刺されにくいのではく、後天的に蚊に刺されても痒みを感じない体質になったのだな。あのとき一生ぶんの蚊に食われた、と思っていたのはあながち間違いでもなかったのだな。

などとうなずきつつ、わたしは、一生ぶんをまとめて痒くなるのと、少しずつ痒くなるのと、どちらが幸せなのだろうと考えていた(多分後者)。



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mに勧められ、久方ぶりにゲームをたしなんだ。ホラー&サスペンスものでアクション要素が薄いので、ミステリ好きのゲーム音痴なわたしにもできるのでは、というわけだ。そのうえmに真横に付いてもらい指導を受ける徹底っぷり。これでクリアできないほうがおかしい。

……で、きっちり、クリアはしたが。不可解な事実が浮かんだ。

現実世界では地図が読めず方向音痴なmが、ゲーム内の地図や位相は一瞬で読みこなすのは何故か。

現実世界では運動神経及び反射神経に定評のあるわたしが、ゲーム内ではこの上ない運動音痴になるのは何故か。

m「黙ってたけど、実は自分、二次元の住人だったんだ!」

いや、一種のゲーム脳ってやつじゃねえの?

しかし、「ゲームが上手い」って、一昔前のいわゆる「不良」に匹敵するクール&アウトロー感がありつつも、やはりそれらよりははるかに健全な匂いがする。つまりラヴ&ピースというか。暴力は外界への発散であり自己をぶちまける作業だが、ゲーム(および二次元)への没頭は実に内的作業だ、ゆえにこうも言おう。バイオレンスよりはオタクであれ。オタクってある意味、愛の達人だからね。

贈答用にセシウム牛が出荷された云々の、食の安全に関する話題は専ら放射能が主役だが、しかしまあ当然予想されていたことではある。

ところで牛肉は旨いかと問われれば、旨い牛肉を食ったことのない哀しさ、あやふやに首を傾げるしかない自分が居る。

そもそも肉はあまり好きなわけでもない。今まで食った肉でいちばん旨かったのは東南アジアで放し飼いにされていた鶏肉だった。オートメーション化された食肉産業のただなかでは血の滴るように新鮮な肉など夢のまた夢、せいぜい冷凍肉のハンバーグをありがたがっていただくのが精一杯だ。自分で絞め、或いは屠った肉を喰らったことなど生涯ただの一度もなく、自ら手を汚さずにわたしは誰かが手を下してくれた肉を食っている。肉が苦手なのはその後ろめたさでもあろうか。

人間が摂取するににあたり栄養価的に最も適した肉は同類の人肉であるともいう。自らの手を汚さず、自らはけして損なわず、さて人間はどこまで他に罪と罰を押し付けていけるだろう。


「食うことのやみくもな欲望」とベンヤミンのことばを種村スエヒロ氏が引用し、ひとつのものを徹底的に食らうことの快楽を説いていて、まことに我が意を得たのであった。

そもそもわたしの親父というのがグルメ(美食、食道楽)とは一線を画した大食漢(グルトンヌ)で、一食に米二合味噌汁三杯は当たり前、五十路近くなって通風を発するまではステーキの二枚や三枚平気で平らげるといった暴力的食欲を誇る人間で、その血をひいたかわたしもとにかく飯は詰め込み詰め込み、胃の膨張感を感じるまででないと満足できないという万年欠食淑女となってしまった。

幸いにして親父からは大食だけでなく代謝のよさも受け継いだらしく、どうにか肥満とは無縁でこれまでやってきたが、用心のため最近はずいぶん食事量を控えめにしている(それでもわたしよりもずっと若いmの倍以上は食っているが)。

これは食ったな、という思い出。

北京、友人宅で三種の餃子パーティー。
モンゴルのジンギスカン攻め。
札幌の食い倒れラーメン&スイーツ。
上田の行き着け蕎麦屋で大盛り+てんぷら。
長野のアスパラバイキング。
吉祥寺のケーキバイキング。
台湾で飲茶。
マレーシアの屋台サテー(ピーナツだれの焼き鳥)。

etc・・・・・・・・・・・・・・・・・・・









「できのよしあしを気にせずテレビドラマをみる秘訣は、その日のストーリーより翌日のストーリーを予想することだ」とマルケスの著書にあって、なるほどと感心した。

わたしはせっかちな性格もあって、どうも「連続ドラマ」が苦手だ。物語を進めるペースが読み手本位で、想像の自由がある小説や、限定された世界とはいえじっくり作りこまれた映画ならばまだ楽しめるが、ドラマとなると一話完結もの以外はあまり、観ない。

だからマルケスの言葉はぐっと来たね、なるほどどんな物語でも、絶えず翌日のストーリーを予測してゆけば、永遠に続くことができる。

関係あるようでないけれど、シンデレラや白雪姫などの昔話は、何故結婚式の場面でメデタシメデタシなのか。その翌日はどうなったのか。シンデレラはかぼちゃの馬車に轢かれて死にました、白雪姫は不妊症でした、なんてことにならなかったと誰が言えるだろう。

人生にも応用できる。

言うなれば日々は来たるべき明日の連続で、せいぜい「できのよしあしを気にせず」未来のストーリーを予測していきたい。

それが生きていく秘訣だろう。

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