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ゆめ か うつつ か
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八十八夜の名残の霜のこと。

五月に入って霜なんて、と思っていたが、山小屋に来てみたら付近に霜注意報が出ていてびっくりした。この時期の霜は農家にとって脅威なので、かつては一晩中焚き火をして霜を防いだらしい。農業離れが久しい現代日本では、もはや死語だろう。

忘れ霜、別れ霜。日本語はうつくしいなあと改めて思う。

 五月の桜。

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近くに川がある。

もう少し遡れば渓谷となり太公望でも居そうな雰囲気だが、とろとろ流れる下流でも、季節ともなると釣り人がそこかしこに糸を垂れる。

あいにくそんな好適地に居ながらわたしはほとんど釣りの経験が無い。親父なんかは小さいころずいぶんいろいろ釣って、近所の池の鯉まで釣って、ほんとに釣れると思わなかった立派な緋鯉が釣れたので腰を抜かしたらしいが、今は「殺生はイヤだ」と専ら茸や山菜取りに転向してしまった。そこへゆくと亡き伯父は釣り道楽で、鰍の唐揚げなぞをよくご馳走になった。あの味は今も懐かしく思い出す。

ずいぶん前の話だが、父の知人でなかなか本筋の釣客が居り、わざわざ自分で藤蔓を加工した、朱塗りの立派なタモ網を譲ってもらったことがあった。それをわざわざ田舎の山小屋まで持ってゆき、有り合わせの竹竿に糸を付け小屋の前の小川に垂らしたが、当たり前のように坊主だった。今考えても馬鹿らしくて笑えてくるが、そのときわたしが付けた糸は、祖母の刺繍箱から取り出した縫い糸だったのだ。ざりがに釣りじゃあるまいし、あんな弾力のない糸ならまだしも髪の毛のほうがマシだろう。確か井伏鱒二が髪の毛をテグス代わりに毟られた話を書いていた。そのときのわたしは、とにかく釣りの真似事をしてみたかったのだ。

そう言えば小さいころ、たまに行く駄菓子屋のことを「つりぐ」と呼んでいた。年かさの子どもがそう呼んでいたから口まねをしていたのだが、駄菓子の奥には確かに釣具が並んでいた。派手な色の浮きがちょっと綺麗だなと思ったが、それきりだった。

漢詩や漢文、墨絵によく出てくるような、のどかな風景につきものの漁夫、釣り人というのはいかにも風雅なオモムキで、いつか自分もそういった古淡の風景に溶けこみたいと思うのだけれど、未だ果たせずにいる。

爛柯の例えではないが、藤蔓の網が腐らない内に、水上で魚と戯れてみたい。ユルスナールの短編みたいに、墨絵のなかに紛れたい。

 空色の地、白の花弁に朱色の萼(うてな)。花は辛夷か白木蓮(マグノリア)か、いずれ春の茫洋とうすぐもった空に似合いの花に相違ない。

小さなつまみのついた蓋を払い、中の一段は茶漉しとて、蓋の内側にぴったり収まる寸法。茶の葉を除けた暁に、ようやく碗を傾け熱き甘露を味わう次第。

日本の細かくつきくだされた茶粉は合わない、あくまで茶葉の大にして拙なる、それゆえに野趣に溢れた茉莉花茶(ジャスミンティ)や茶餅(茶葉を押し固め多年を経たもの=プーアル茶)などがよく似合う。



十代後半、家出同然に中国を訪った際、助けてくれた恩人に「はいこれ、あなたの」とマヨネーズの空き瓶をきれいに洗ったものを渡された。水筒の代わりにくれたものらしい。中国のひとはそうしてよく空き瓶に茶を蓄えていた、なんのことはない、器に茶葉と湯をそそぐだけのいたって簡単な煮出し方法、バスの運転手など今でもそうして空き瓶で茶を飲む。わたしもしばらくその空き瓶を使っていた、真夏だった、茶葉が底に沈んだら、ごくごく飲めるほど冷めた証。

綺麗な茶碗を手に入れた今、飲むお茶は、なぜかマヨネーズの香りがしたあの茶にとおく及ばない。



さやさやと流れる用水路に、花片が光の雫めいてあとからあとからふりこぼれ、水に揉まれくるめいていた。

すべての桜木の下に小川を配したらいい。散る傍から彼方へ流れ去るほうが、腐り溶けて土に帰るよりも余程さっぱりとして好ましいだろう。

死体よりも、余程。


母と語らっていてしばしば忍耐を要求されるとき、それは彼女が「わたしがそうしてきたのだからお前もそうすべき」という観念にもとづいて話しているときだと最近気付いた。

まあ総じて結婚出産そのほかもろもろの生き方に関する考えについて語っているときなんだけど。自分が通ってきた道だから間違いないと自信を持って薦めてくれているのはよくわかるし、ありがたい親心なのだろうとわたしもあえて逆らわないことにしているが、先日、そんな母がぽつりと「今の時代だったらお母さんも結婚しなかったかもね」といっていたので、なんだか考えさせられた。

わたしは彼女が自分の通ってきた道そのものに疑問を抱いていなかったからこそ、わたしにも同じ道を勧めるのかと思っていたが、どうやら疑問を持たないこともなかったらしい。

「わたしたちの世代はみなそうしてきたんだから、お前もそうしなければおかしい」という不公平感、否、違和感と言い換えてもいい。シンデレラも白雪姫も「そして幸せに暮らしました」のクライマックスは綺麗な結婚式だが、その「幸せ」のなかにはDVも浮気も不倫も不妊治療も姑や隣人の問題も孤育ても老人介護も含まれていて、「だからお前もそうして幸せ(=不幸せ)にならなければいけないのだよ」という、これはもう呪いに近い。嫁姑の問題は有名だよね、わたしもいじめられたのだから、いじめてもいいはずだってやつ。

年上のとくに女性と話しているとき、こういう屈折した思いを感じることがままある。それは男性のよく考えない、それだけに薄っぺらでストレートなセクハラ発言よりも根が深く、そのぶん深刻に思える。





 姪っ子一号と二号。二号のマイブームは「つかまり立ち」。


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