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「……市の民家の一室で発見されたバラバラ死体は、行方不明の高校生男子三名のものと判明しました。遺体は損傷が激しく…」
不意に寝苦しさを覚え私は半身を起こした、夕闇にかすむ壁の模様は浮かんでは消え、消えてはまた浮かび上がり私を幻惑する。
「一家の留守をねらい忍び込んだ少年達の間での凶行とみられ、」
おや、と私は奇妙なことを思った。この部屋は立て替える前の間取りだったのではないかしら?
そうそう、あの障子、和風の木目天井、畳もふすまも何もかも…
ふ とテレビの音が消えた。静寂の中、どこからかばりばりと何かが突き崩されるような音が聞こえる。
あの音は何だろうと障子に目をやると白い紙にぽつりと浮かんだ小さな黒点がじわじわと大きな染みになっていく。西日に照らされ紅く染まったそれが血のしみだと気づくなり私は障子を開け放った、飛び散った肉片、乾いても生々しい血だまり、ばりばりと屍にむらがる小蟲…
背骨を冷たい手で掴まれたような心からの悪寒を感じながら私は、 その猟奇殺人 は今から十年ほど前に、私が居る今 この部屋で 行われたのだと思い出し…
一刹那の後、部屋は何事もなかったかのように 元の様子に立ち返っていた。
*
久々になまなましい悪夢をみた。
と いうところで目が覚めたらしい。
猫嫌いの親父らしい夢だ。
*
あたしもあたしでいろいろ見ている、最近は海の夢が多いかな。朝焼けの海は綺麗だった。
あと、最近はうたたねの間、一瞬のうちに見る夢がものすごく長くて現実味があって容易に現実を認識できないときがある。
この前山小屋に行ったとき、七時半くらいにふとうつらうつらしてて気づいたら、東京の自分の部屋で衣替えをしていて、お気に入りのレトロTシャツを探しているのになかなか見つからなくて困っているという夢を見た。もう二時間も探しているのに…って目が覚めたら相変わらず山小屋に居て、しかもまだ五分しか経ってなくて、あれ?ここどこ?今何時?って一瞬、戻って来れなかった。
*
今、日焼けも水気も禁止だからいちんちじゅう、暗くて涼しくて乾いた部屋で夢を見ながらとろとろしている。
まるで子宮のようないごこちの良さに・時々、恐ろしくなる。
①
修学旅行に行った。
もう金輪際行くことはないと思っていたので意外だったが嬉しかった、たとえ旅行先が七回も行った事のある北京の故宮博物院だとしても嬉しかった、数年ぶりに訪れた故宮博物院は巨大なテーマパークになっており、わたしはやたら空腹を覚えて食堂を探す、食堂では全ての料理が未完成だったのであたしは絶望的な気分になって腰を下ろす、隣の席に置いてあるスキー板がみるみる美味しそうに思えてきてとうとう手を伸ばした、ばりばりと噛み砕くとスキー板はまるでせんべいのように小気味良い音を立てて私の腹に消えていった、無我夢中で半分ほど食べ終わったころにようやくカレーが運ばれてきて私は我に返った、どうしよう、板の持ち主に弁償しなければならない。食堂を去りスキー用具店を探したが見つからない、更に走りまわるうちに財布を落としてしまい・・・
②
あたしは視察団の通訳だった。制服姿の若い青年ふたりが私たちの案内役だった。白い制服のおとなしそうな青年の名はメガリス、暗緑色の制服の活発そうな青年の名はついにききそびれてしまったが、鳥が好きで白い鳥を飼っていたのだと語った。「その鳥は 「月下美人」 と鳴くのですよ」
街中にはいたるところ赤い薔薇が印されておりオモチャのようなつくりだった、小雨の中傘も差さずに濡れて歩いた、「ところでお写真はご遠慮願います」。
*
起きた。
夢の中で中国語を喋ったのは久しぶり。
なだらかな丘が何処までも続いていた。
かすかなモーター音が空から聞こえてくる、見上げると無人のスキーリフトが運行している、誰も居ないのに廻り続けているそれを追い、無心に丘を駈けた。
突然、柔らかな草が茂る初夏の高原の急斜面で足を滑らした私は腕をばたつかせた、鳥じゃあるまいしそれで空が飛べると思ったわけではない、ただなんとかして体のバランスを保とうとしたのだ―しかし、次の瞬間、私の体は宙に浮いていた!
それはけして高く、また美しい飛翔ではなく、わたしはおぼれかけた人のように空気を掻いてようやく浮き上がっているという風情だった、ふわり ふわり…1・2メートルも浮いた後、疲れのためにもがくのをやめた私は途端に地に堕ちた。
飛ぶというのは思ったよりも簡単だが、また思ったよりも疲れるものだと思った。
*
浮いた感触も土のやわらかさもありありと覚えている。
それにしても、せいぜい頑張って1・2メートルの高度、ってとこがリアルだよね。どうせなら鳥の視点を持ちたかったな、夢なのにけちくさい飛び方をしたものだ。
この後アステカの古代神殿ばりのマヨヒガに迷い込んでしばらくうろつくんだけど、そこには人々が普通に暮らしを営んでいる、彼らは実に楽しそうに日々の仕事を片付けていて、あたしの存在には気づこうとしない。
あれおかしいな、マヨヒガといえば無人が相場なんだけど…って思いながら煮炊き女もかまびすしい台所にぼんやりたたずんでいると、まだ少女と言えるほどの女の子があたしを見て小さく叫んだ。
それで、あたしは、ああ、ちがう、ここがマヨヒガなんじゃない、
あたしがザシキワラシなんだ、
っていうことに気づいたのだった。
市ヶ谷の参謀本部に届くのは灰色の報せばかりだった、昇官試験を殆ど白紙で提出した私はいずれ佐官殿にお呼ばれになるとわかってはいたが何も怖くはなかった、うろうろと歩き回るしか能の無い奴らなど!
ここに配属された日、満開の白木蓮に見とれた罪で殴られたときに或いは向こうも分かっていたのかもしれない、私がこの戦いの日々を生きぬくことなど不可能に近いということを。鞄の底に詰めた文学の本は見つかれば非国民のそしりを免れえないだろう、いいとも、この狂った世界で文学と心中できるなら…
私は意気揚々と空を見上げた、1945年6月曇天の空を。
*
このあと同期の陸軍将校西田(仮名)と友情を確かめ合ったり国を憂いたりなんだりするんだけどさ、どうして夢の中ってまったく知らない人間や事項をもっともらしく仕立て上げられるのかしら、薄暗い市ヶ谷の執務室まではっきりと。
中井の戦中日記を読んだのと、ここ数日祖母が来ていて、爺さんの話を聞いたからかしら。爺さんは陸軍、諜報課の少佐だったらしい。肩章いっぱい付けてる写真なら見たことある。
陸軍…石原莞爾は(しでかしたことはともかく個人として)わりと好きだ。
個人としてダメダメだったら何もなすことはできないんだけどね、小人であれ。