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ゆめ か うつつ か
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「春風を持って人に接し、秋霜を以って自らを粛む」 佐藤一斎。



激しい夏の日差しも遠のいてにわかに秋めいて穏やかな日々が続くけれど、わたしは秋に穏やかさ、まろやかさよりも、潔さにも似た厳しさを感じる。「秋が呼ぶような気がする その激しさに耐え難いときもある」と書いた八木重吉は、そういう気持ちをわかっていたんだろう。

もうすぐ、わたしが生まれた季節になる。

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データを他に移そうかなどうしようかな、と思っている。
今ここ(ブログ)しか動いてないし、そろそろ転職の用意もしなきゃだし、とりあえずたたんでしまおうかなあ。

そういうわけで、Yavに置いてあるテクストのほうは、11月にごっそり消えるかもしれません。



 ワルプルギスの夜、万聖節が近い。



  

山のためいきのような気がするなあ。


北京留学中の夏の終わり、韓国人の友人に誘われ、東城区にあるというオールシーズンのスケートリンクに行くことになった。

靴はレンタルがあるので手ぶらで集合、というのがいけなかった。当然のように銀盤上は凍るような寒さで、うっかりノースリーブでやって来たわたしはひとりで凍える羽目になるはずだった。

はずだった、というのは、見かねた韓国人の男の子が自分の上着を貸してくれようとし、わたしは頑なに断り続けた挙げ句、スケートリンクをくるくると、追いかけっこになってしまったのだ。 おかげで体は暖まったが、わたしは「変な子」「頭がおかしいんじゃないの」と言われた。

後から知ったのだが、どうも韓国では男子が女子をいたわり守るのは当たり前らしく、わたしの態度はひどく奇妙に見えたらしい。

上着を忘れたのはわたしの責だし、それで寒い思いをするのは当たり前だと思ったのだけど。身内でもあるまいし、見ず知らずの他人に甘えたくなかった。そのころわたしは未熟で頑なで青かったので、返すあてもない借りをつくりたくはなかったのだ、負けるような気がしたのだ、屈辱だったのだ。

人類学で贈与論を学んだときは、だからこれだと思った。ひとは与えられるばかりでは心理的負荷がかかってゆく一方、だからお中元やお歳暮は同等のものを返すんだし、ポトラッチでは破産するまで贈答を繰り返す、すなわち「返せなくなったら負け」。

今はもう大人になり、ひとから受けた優しさは他人に返せばいいと思えるようになった。
それに、何かに負けることもそれほど恐れてはいない、つもり。

そぼふる雨のなか、傘を差して歩いていたら、雨音に交じってとぎれとぎれに琴の音が聞こえた。
ぴん ぽろん と、傘の上をころころ、はずんでゆきそうな音色だった。





 こんぺいとう 和三盆 栗きんとん。

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