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ゆめ か うつつ か
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今年こそ花粉症になってしまった、と思い続けて十年近くなるので、もはや自分が真に花粉症なのかそうでないかの区別がつかない。毎年毎年「今年こそヤバイ」と思うということは、すなわち毎年たいして花粉症に悩まされるでもなく春をやり過ごしているのだろうとは思う。

最近の新聞に、「花粉症は日本人の標準体質のひとつになりつつある」という記事があって、日本人の健康基準もついにここまできたかと感慨深くなった。わたしがこどものころ、アレルギーはまだマイノリティなほうだったと思う。数年前に中学校で実習したとき、アレルギーゆえ当然のように給食を摂食拒否する生徒の多さに驚いた。給食センターもこれでは大変だろう。


試したことはないので真偽のほどは知らないが、花粉症やアレルギーの有効な治療法として「体内に寄生虫を飼う」というやつがあった。アレルギーなんてしょせんは免疫の暴走だから、さしあたり体内に明確な〈敵〉があれば、免疫も正常に働いてくれるのかもしれない。昔の、あるいは現在でも、衛生管理されていない地域の人には花粉症は居ないというし、虫も寄り付けないくらいおきれいな身体だからこそ花粉症になるのかもしれない。

そうなると、もう何が健康で何が不健康かわからない。いわばわたしたちは、過剰に健康なんだろう。








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折口信夫の歌論を読んで思ったことなどをとりとめもなく。。



文学において、愛の恋の折句の掛詞の、小手先の技術に頼るのは二流。さりとて描写のみでは素朴すぎる、甘ちょろい情感をギリギリまで排除して残る微かな余韻をよしとする。描ききらない良さ。

和歌、俳諧、茶の湯もそうかな。日本人特有だよね、はっきり言わない。もたつく、たゆたう、曖昧な。



文学と哲学の違いは、生きる哀しみへの、反応の違いではないかしら。文学は哀しみをありのまま書き出し眺める、写生した絵を額縁に入れて飾るみたいに。哲学は違う。哲学は哀しみを解剖する。丹念に腑分けしてひとつひとつ分析し、ホルマリンの瓶に入れ分類する。

わたしは文学少女ではなく、哲学少女になりたかった。









ドラえもん』には、学校や家庭やこどもの遊びなど、昭和の風俗がいろいろ描かれている。

しかしあれはやはり今現在、平成の世から見るとわりとズレがあるんじゃないかと思い、現代日本でドラえもんが連載されていたらどうなるか、メインの五人(ドラえもん、のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫)で考えてみた。世相なんかを絡めつつ。

具体的には

・少子化、及び学歴偏重
・離婚率の上昇
・国際化
・不景気、失業率の高さ
・うつ病、自殺、引きこもり、オタク

などなど。




~平成版『ドラえもん』素案~

・しずかちゃんと出来杉くんは小学校からお受験で別の学校へ(のっけからヒロイン不在)
・スネ夫ん家は母子家庭
・ジャイアン家はブラジル移民
・のび太の父親は失業中
・のび太はオタクの引きこもり(ガンマニアもしくは美少女フィギュア好き)


「これでドラえもんが美少女ロボットなら言うことないな」とはmの言。

いやまあそうだけど、それを認めてしまうとドラえもんがホントにただのユメ、自慰的存在になってしまう。ドラえもんは小型化&スタイリッシュになるくらいでいいんだけど、

だけどまあ、

どんだけ現在が病んでるかよくわかった。。

(実際のび太の部屋はきちんと片付いてるし今ならのび太は優等生だと思う、活字離れ久しい現代日本においては、テレビやゲームのない個室なんて真面目そのものなのだから)








眼精疲労が極まってか、「薄手ニット」を「薄毛ニット」と読み違えた。スッカスカだね! 寒そう!

と、思っていたら、なにやら右目から涙が。異物感や痛みも伴い、調べてみたら眼球に水ぶくれが出来ていた。しばらくコンタクトレンズはお預け。





mは某良品の「不揃い黒豆~」を、「不味い黒豆~」と読み間違えていた。まずかったら誰も買わないし!



ちなみに、この前とある小説で「庇」に代わって「屁」が誤植されていて、五分ほど笑い咽んだ。シリアスなシーンなだけに。。










ちょっと前、朝日新聞に載ってた経済学者D・コーエン氏のインタビューが、非常に面白かった。経済成長=幸福では必ずしもない、とか、経済は西欧が発明したとか、人が働いて金を稼ぐ理由はまさに働きたくないからこそだとか。

富裕層が貧困層を食い潰す資本主義はとっくに限界で、これからは富裕層も生活水準を下げねばならない時代。今後、飲食物、燃料、医療や娯楽サービスに至るまで、質は下がってゆくだろう、残念ながら。そういう分かりきった話、でもなかなか人間は、現実に頬を張りとばされるまで、危機を認識しようとしない。原発のことみたいに。


物質が不足するからこれからは精神的な幸福に重きが置かれるかというと、これも残念ながらそうでもなく、むしろますます物質偏重になってゆく可能性が高い。震災のとき、水や食料を買い占めた人の多さを考えればよくわかる。分かち合う大切さより自分の安心(安全ですらないただの安心)。


中間層が消え、格差が加速する。言ってみりゃ近代以前の社会モデルに幾分逆行するわけで、日本にとっていちばんいい時代は既に終わったことに、みんな薄々気づいている。資本主義って誰かの損、誰かの犠牲のうえでないと成り立たない。今後は私たちも痛みを引き受ける側に回る、そしてますます栄える誰かが出てくる。







難しい。











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