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ゆめ か うつつ か
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なのだなあと思う今日この頃。

デヴィッド・リンチの映画とかさあ、もっとアングラ扱いされててしかるべきなんじゃないの本来なら。フランスの芸術映画とかでもそうだと思うけど、こんなものすごく好みが分かれる映画をちゃんとした映画館で配給してるのって、えらいよ。

この 好みが分かれる ところ、細分化現象、っていわゆるオタク化だと思うんだけど、してみると日本人ってやっぱりオタクが多いのかな。

何がってミステリーノベルの多さでも、日本って他の追随をゆるさないんではとか思うんだよね。わたしは歴史小説と云うのはある種のミステリだと思ってるけど、歴史ものも多いでしょう、日本って。廃れることが無い。
ちなみにミステリと歴史とハードボイルドは働く男のためのエンターテイメントで、だからこそ廃れないのかもわからん。

わたしはミステリも歴史も好きだけど、ハードボイルドよりはSFの方が好きだ。
ハードボイルドとハーレクインって苦手。どっちも願望があらわに過ぎる。きがする。





そういや太宰の後追い自殺したTという作家の息子さんが作家になっているが、それが思い切りハードボイルド
・エンターテイメントなのね、「某国の依頼を受け、極秘にX国に侵入を果たした△は、そこに捕われていた女エージェント・○○と恋に落ちる……!」みたいな。或いは超なんたら要塞とか。

純文に親父を殺されたら子供はエンタメにゆくのかしらん、とかちょっとおもしろかった。

そいで面白いのはさあ、親父の方は純文学のエッセーとかでちょくちょくみるのに、そういうときに子供がエンタメ作家だとは紹介されないのね。やっぱり方向性があまりに違うとイメージのために伏せられるのかしらね。

斉藤茂吉の息子が北杜夫、だったよね?


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いわゆる昨今の浴衣の流行について、ゴスロリ浴衣やミニスカ浴衣など・変形浴衣の出現は、衣服の移り変わりとして認められるのではないかということに、ひとまずは意見の一致を見た。
(Mは容認していたが、私は個人的にミニスカ浴衣は好まない。しかし十二単衣が現代の着物に変化していったことを考えればこういった浴衣の「進化」はやむをえないだろう)

次いで話題は昨今の着物の着方になった、着方が変化していることについて…もっと言えば「既婚・三十過ぎてのお振り袖」式①の常識を覆す着こなしについて、私とMの意見はまっぷたつに分かれた。
簡単に言えば私は「あり」、Mは「なし」。
私はこれも衣服の変遷の一過程ではないかと主張したが、彼女は

「浴衣は最初から着崩されたものだろ?浴衣で結婚パーティーは行かねえだろ?着物は公式の服、いわばハレの衣装なんだよ。膝に穴開いてるジーンズ、いくら
カッコよくてもそれで結婚式出れねえのと同じ。着物はまともに着るべき服なんだ」

なるほど、そういえばMは表だか裏の免状を有し、着物の着付けを一人でこなせるヤマトナデシコだった、だがそのためにこそ普段着物を着付けていない人間の感覚がわからないのではないかと私は思った。

「それだよ!着物はハレ、浴衣はケ(日常)っていう感覚、あたしにはないもん。浴衣ですら子供のとき以来着てないし、ましてちゃんとしたお着物なんか今までの生涯で三時間くらいしかまともに着てない。あたしにとっては着物はもちろんハレだけど浴衣もハレなんだ、非日常なの。多分一般的な女の子はみんなそう、普段は着ない、祭りのときだけってイメージ。浴衣ファッション雑誌なんてのがわざわざ出て、アクセやら小物特集なんかがある②のもそのためでしょーが」

要するに浴衣も着物も「特別な日の服」、と訴える私に、Mは一理あるか、と考えこんだ。論の筋は通ったものの、私は自分の徹底した現代人ぶりがいささか情けなかった。



いずれにせよ今時の女の子は、女の子でいられる時間が長くなってるよね。と、
姉(既婚)が薄紫の浴衣に青い帯、真っ赤な薔薇の帯締め③を合わせてるのを見て思った。

(①振り袖は未婚の若い女性のものとされる②浴衣にアクセサリーはしないのが普通③浴衣に帯締めはしないのが普通 ←今までの常識)

まあ・あたしは見識も節操もセンスすら無いので・「好ましいならOK」。
それでいい。

寺山修司の「馬染かつら」を読んでいたら、競馬場にいる謎の老紳士の話
…いつもセルロイドでできた人形の孫娘を抱いており、誰もその子細を知らない…
と いうエピソードが出て来て、ゆくりなくも数年前中国で国内線の飛行機に乗った折の出来事が甦ってきた。



その時私はゼミの先輩たちと一緒に教授の研究旅行について行き、二週間のフィールドワークを終えて帰路に着くところだった。搭乗チケット確認の列に並ぶ私の斜め前に、中国人の若夫婦…身なりも悪くない、真っ赤なスーツケースに派手なシャツを着ているところを見るとバカンスの帰りだろうか、が仲睦まじくよりそっていた。時折女性が腕に抱いた赤ん坊に囁きかけているのも微笑ましい。

突然、私の隣りに居た教授がはっとしたように呟いた。
「あれ、人形だ」
言われて気付いたが、女性が抱いているのは精巧な赤ん坊人形だったのだ。やけにおとなしい赤ん坊だと思っていたが、まさか人形だとは気付かなかった私は、驚いて夫婦の会話に耳をすませた。夫婦は優しげに腕の中の人形に話しかけ、頬を撫で、慈しんでいる。唖然としているのは私たちだけではなく、よく見ると周囲の人々はみな遠巻きに好奇の視線で夫婦と人形を見守っているのだった。 

機内での彼らの席は、お誂え向きに私たちから通路を隔てた斜め向かいであった。依然として人形を相手に、食事をさせる真似すらしている彼らに私は首を傾げた。
「どういうことでしょうか?二人は芸人で、腹話術の練習をしてるとか?」
呟く私に教授は独自の仮説を唱え始めた。
「奥さんが赤ん坊を亡くして、精神をおかしくしたので旦那さんが人形を与えたら本物と思いこんでるとか…」
私たちの憶測は続いたが、それらはいずれも憶測の域を脱出しなかった。
飛行機が大連に到着しても、夫婦は変らず人形の赤ん坊を慈しんでいる。私は我慢できなくなり、教授に言った。 

「尋いてみましょう」
「真実を知った奥さんが発狂したりして」 

教授はおどけて首を振る。私は意を決し、小走りに通路を歩くと先を行く夫婦に話しかけた。なるべくにこやかに、挨拶をするような仕草で…腕の中の赤ん坊を覗きこみながら。 

「とてもかわいいお子さんですね!」

瞬間、女性は目を見開き、顔を歪めた。教授は正しかったのだろうか、私は尋ねてはいけないことを尋ね、女性の狂気を呼び覚ましてしまったのだろうか。そう危ぶむ私に彼女は言った。怪訝そうな表情で。

「これ、旅先で買ったお土産の人形なんですけど」

…かくして謎は彼女たちではなく「私たち」に在った、と判明した……



とか、しかつめらしく書いてるけど、ほんと言うと大笑いだった。しかしまァつくづく人は「意味を求め物語を作る」、それを欲する、そういう存在なのだということを感じたね。

寺山が語った老人の人形も実は全く何の謎もないかもしれないな。どうだろう。

同性間に愛情が成立しうるようにね。
いや、でも、男と女が相互理解を深めると恋愛関係に帰結しちまうんだよねどうしても。



あたしが何の拘りも隔ても気兼ねもなくありのまま全てを話せる身近な人は今のところGくらいで、でもGにはGの思うところや感じるところがあるしあたしはわりと普段から無理やり話を聞かせてるような気もするほどで、要するにGは健全かつ健康で前向きなのであたしみたいに病的なこと=実存とか、に興味を持たないんだ、そんで時々すごく申し訳なくなったりする。

昔から、そういうことを真剣に話し合える人が居ればなあっていつも、思うんだけど、やっと見つけたその貴重な人間が男だった場合、これまでのところ例外なく色恋沙汰が介入してくるのにものすげえ敗北感を感じる。
何ていうのかな、ひとがそれなり真剣に語ろうとしてるのにお前そこで口説きに入るのかよ、みたいな。
(あ、これ逆も然りで、真剣に語ろうとしてるあたしがときめいたりしちゃってるときもある。そんな自分にがっかりする)所詮対等じゃないんだよね良くも悪くも、「おんな」であることによって語ることすら許されない気分になったりする。頼むからてめえだけはそういう台詞を吐いてくれるな、と祈るように思っても無駄だったり。あたしが男だったらこういう煩わしさは無いんだろなとだからよく考える。

いや、実際は男と男の間にもそういう…口説きっつうかゲイっつうか、十分ありうるんだけどさー、男女間の愛は利益にもとづいている(子孫、系図、相続、財産)から純粋ではないってゆったの、あれソクラテスだっけプラトンだっけ?ああゲイと古代ギリシャの親愛(もしくは江戸の念友)は精神性が全く異なるんだっけ、まあどっちにしろ友を喪うくらいなら恋人は不要だしあたしにとっては愛よりはむしろ理解が必要なのだけど、愛と理解を切り離せるひとはなかなか、居ない。もちろん奇跡的に、愛と理解が同量ふりむけられるならそれに越したことはないのだけど、大抵の場合は愛が芽生えた瞬間に理解がふっとぶみたい。

そう、わりと勘違いしてる人が多いけど、愛=理解ではないし、愛されてるからって理解されてるわけではない。



まあ…なんていうかあたしにとって世界って全然わかんないことだらけで、だから本なんか読むわけだけどますます、疑問は深まるばかりで、いつか誰か世界のことをとてもよく理解してる人が目の前に現れてあたしの疑問を全て解決してくれるんじゃないだろうかとかほんのちょっと期待してるわけです。あほでしょ。

母に、私の生活全般は「尼僧みたい」と評された、昔から本以外のものを欲しがりもせず、流行の服や靴や化粧品、アクセサリーにも興味は無(いこともないんだけどな…)く、「結婚には興味ない」と公言してるもんだから…

昔から、「本読んでご飯食べて寝る」が私の三大欲で、お外に出るのも好きだけど結局どこに行こうが誰と居ようが孤独からは逃れられないのなら日本だろうが中国だろうがイタリアだろうが・自宅だろうが職場だろうが同じことで、ましてや自分がヒト科の繁殖期の雌であるということは生物学上認めざるを得ないとは理解してはいるものの、それと結婚がどうしても結びつかない、自分も結婚する(できる)というヴィジョンが浮ばない、まるで現実味が無い…

ひとつ言っておくと私は独身主義者では無いしその必要を感じたら結婚することもあるだろう、でもその程度の認識なんだな。つまりは必要を感じなかったら一生結婚しないだろう、あえて結婚に興味を抱いていないのはそのような次第で…だから母が嘆く。

そもそも晩婚化を改善したいなら女性から学力と経済力を奪えばイチコロなんよね。でもそれだと女なめんなよ、って話になるので、昔の日本みたいに・もしくは東南アジアみたいに母系制を復活させて通い婚にするとかね。一妻多夫。昨今は男が余ってんだからそれでちょうどいいんじゃないかなー、子供の父親が誰かわかんなくても関わった男全員で出資すれば子育ても大変じゃないし。合理的よね。

ん 今気づいたけどあたし結婚したくないわけじゃない、世間一般で言われる「結婚」イメージ(→豪華ホテルの式場・ジューンブライド・婚約指輪・スピーチ・純白のドレス・引き出物・誓いの言葉エトセトラ)が、自分とかけ離れてるだけだ。

体験として味わうにはやぶさかではないがいかにも空虚な儀礼に思える。愛することと所有することは異なる、しかし結婚式とは明らかに財産の譲渡と所有の儀式なのでそれが気に入らないのかもしれない。





おとーとに見てもらったあとからPCがピュイーンピュイーンと悲鳴を上げるようになった。大丈夫か。怖いから文章だけはバックアップをとっておく、無理にネット繋げようとしたからかなあ…

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