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ゆめ か うつつ か
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にんがい と 読む。





猟奇な話はたしなみとして心得ているつもりだが・考えてみれば小学生の頃には既にナチスドイツも731部隊も津山三十人殺しも女子高生コンクリ詰め殺人も知っていた。図書館はイケナイご本の宝庫です。ルポの類は特に年齢制限無いからね。

mが無類の猟奇好きなのでそのへんの話で時々もりあがる、まあ大体は人間の所業じゃねえよな・って話になるのでご安心を。他人を「殺したい」、「苦しめたい」という欲望について否定するつもりはないが、実行するには低級すぎる欲望だと思っている。こういったものは観念で処理するにしくはない というのが正直な感想。

ただ最近は、人間だからこそ ここまで猟奇な事件を起こすんだろうな とも思っている。
人間以外の動物は、こんなに手の込んだ複雑な死を他に与えたりはしない。
大体にして鬼とか悪魔とか そういう言葉は人間が考えたものだし、鬼とか悪魔って言う種類の人間なんだろうと思う。神とか天使という類の人間が居るように。そしてそれらの相反する二つの人格(ペルソナ)は相互に混在することも可能なのだからして 人間ってやつはまったく奥が深すぎる。
猟奇な事柄に魅かれる原因は、実にこの複雑さにあるのかもしれない。

ほらだって 自分の中に確実に存在する闇を見据えたいと 思わない?





ただ道を歩いてるだけで殺され得るのだという自覚はだから小学生のころからずっと ある。
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弟が何とやらのブランドコラボ作品のコート目当てに、ウワサのH&Mに行ったらしい。


「講義終わって10時から翌朝9時まで並んでそのままガッコだったよー」
「へえ、大変だったねー……え?」

……聞き違いかと思ったが事実だった。寒風吹きすさぶ中、シャツと薄手コートのみで一昼夜並び通したらしい。見かねた周囲の人が「あの、寝袋あるんでそれを羽織っててもいいですよ」と申し出る程だったらしい。


「いや、辛かった。明け方すごい寒くて、隣でずっと宮沢賢治読んでた男の子が段ボール見つけてきたから被って寒さしのいでさあ」


前夜は段ボール、一夜明けたらブランドコートというそのあまりの差に爆笑した!


かなり早めに並んだからか、弟は30番目くらいには入店できたらしいが、途端に店内は戦場と化したらしい。件の『賢治くん』と予め買い物を分担していた弟はほどなくして目当てのものを手にしたが、帰る途中も行列は途切れず……

「でさ、まあ俺も眠かったから無意識に行列沿いに歩いてたんだ。そしたら列に並んでたギャルが俺に向かって『チョー優越感ってカンジ!』って。。慌てて列から離れたけど、ならこっちだって『チョー疲労感ってカンジ!』てめえらも前日の夜10時から並べよ!ってカンジ!」





お疲れさまでした。

〈欲しいモノがたくさんあるんだね、幸せだね〉というのがわたしの感想。


母は趣味でカンツォーネを歌うのだが、どういうわけか失恋の歌ばかり歌っている。

発表会が近くなると家のそこかしこに張り付けられる母の筆跡の歌詞は、どれも「憂い」とか「死」とか「別れのキス」とかそういう哀しげな単語に溢れており 正直子供としては失笑を禁じえない。
失笑ならまだいいほうで 親父は<車を停めて、もういいの、部屋までこないで>というフレーズに「部屋までこないで!部屋までこないでだってさ!」と 爆笑していた。無理もないと思う。そんな親父に母は訳知り顔で「辛い人生を送らないと歌なんて歌えないのよ」と言う。なるほどそうかもしれないが、わたしの考えでは芸術は「そのもの」ではない。限り無く真理に近づきえた虚構、それが芸術のスキルであり才能。

その証拠に、今までの生涯で失恋など一度もしたことのない母の歌、初デートの相手と結婚して四人の子までもうけた母の歌は、十分芸術に値するからね。
 

 

眠れないままに徒然。


*死体を探しに行く墓のココロミ。


私にプライドが無い(或いは、無いように見える)のは プライドの所在が他人と異なるからだ。私は私の深層に、これだけは突き崩させない 護り通さねばならない「モノ」を持っている、そのためならどんなに下らないことでもやり遂げるし媚びへつらうことも厭わない、笑いながら敗北できる。

…さてその深層にある「モノ」だが、実は大事に護りすぎるあまり、ほとんど実体を失ってしまったというのが妥当なところではないか。宝箱も王家の墓も 見つけた頃には空っぽなもの、言うなれば私は既に私自身の墓に相違無い。そしてたとえ肝心の中身を見つけたとしても、それは既に死んでいるのだ。


*ハーゲンダッツマカダミアより愛してる!


…とはいえ、具体的にそのひとのどこを愛しているのか問われてもうまく説明できない、性格や声や目や髪の毛や、もちろん愛しく思ってはいるものの、それはただの形骸に過ぎない。だがしかし形を愛しているならまだ理解しようもあるものを。

つまり自分でも理解不能なのだ、そのひとの何が他の人間と異なるのか分かっていない。
違ったのはただ、その人だけがわたしを廻る隔たり・壁・障害…を、越え得たということだけだ。

気付けばどうしようもなくわたしの中に入ってきていた、内部に侵入していた。ただそれだけなのに世界は厳然と分かたれた、峻別されてしまった。そのひとが居る世界と居ない世界の二つに。
二十年以上もの時間を共にした家族や、誰より親しい友人よりも、出会ったばかりのそのひとに、瞬く間に鮮やかに切り込まれた。

或いはそれを愛だとひとは言い、またそれを錯覚だとひとは言うのだろう。



最近結婚活動略して婚活(コンカツ)っていう言葉がやたら流行ってるけど これってほんとに社会現象なのかなあって。

というのもね 未婚の友達と話してると必ず出てくるのが、現代日本の女性にとって結婚ってリスク高えんじゃねえか って。

日本もそれなりに女性が社会進出を果たしてきているおかげで経済力やらライフスタイルを持ってる女の人 増えている、そういうひとは、結婚によって失うもんのほうが実は大きいんじゃないのかな。と。

出産・子育てとかね、ほんと 大変だもの。もちろんそれで得るものも多大なんだけど、プラマイというか収支というか そういうのが釣り合うかどうかといえば 一抹の不安を感じるのはわたしだけではないはず。
もちろん収支は一番大切なものではないし、結婚しようがしなかろうが何の負担も背負わずに生きていけるわけはない。結婚ていうのは基本的にそういう負担を分かち合うためのものであるのだが・

それにしては 女の人に求めすぎ なような気がするんだよね。

出産・子育て・家事雑事・もひとつおまけによき稼ぎ手・よき妻・よき母・よき嫁……全部こなすのは至難のワザだぜ。

そういうわけで「結婚しなさい」ってゆってるのは親なのか社会なのかメディアなのか政府なのか。。
誰でもいいけどね その論には少なからず正当性が認められるだけに、何もいえなくなってしまう。貝のようにくちをつぐむしかなくなってしまう。

実際結婚したひとびとは「シアワセ!」と広言してはばからない、彼らは自分が正しい道を歩んでいることに誇りを持っているからだろう。すべからく社会を生き抜いていくには大きな道を歩くことが肝要です。少しでも道を外れると親切なひとたちが真心をこめて憐れんでくれるでしょう、「あなたのため」という言葉はなるほどいかにも美しいしある意味真実なのかもしれないが「うるせえだまれ消えろ」と返したくなるのはわたしがアウトサイダーだからだろうか。。

まあね 考えすぎてるよね。わかってる、あまのじゃくだからもっともらしく反論してみたいだけ。





……ちなみにP・レアージュの『O嬢の物語』なぞを読み返しているのだが・これは「人間は奴隷状態を欲する」ことであり特に女性は支配されることに幸福を覚えるとゆうオハナシで……

このことについてはわたしは異議をとなえるつもりはない。

支配してくれないなら支配させろ と思うだけだ。


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