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昔、名古屋を旅したときに、いわゆるホームレスのおぢさんと仲良くなって、残飯の食事をご馳走になりかけたことがある。たぶんそれを食べたならわたしの世界はまたひとつ新しい価値観をインストールできたのであろう、が・そのときは名古屋名物モーニングをいただくためにそのお食事は丁重にお断りした、そしたらおぢさんはそれを威勢良く駅前の鳩に投げた、それでわたしは「ああこのおぢさんにとってわたしと鳩は同列なのだな」、と思った。
手に入れられなかった世界観をちょっと惜しいと思ったが
手に入れてしまったら入れてしまったで、「何か」(たとえば「常識」)を失うことになったのだろう。
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今までもそうとういろいろと好き勝手やって生きてきたが、まあたぶん、今後も好き勝手やっていくだろうという漠然とした予感。10代のころからのわたしの夢は、「30すぎまでに山に隠居して晴耕雨読」だったが、恋してしまったのでそれもちょっとままならなそうだ。今の夢は「あいするひとと子どもを作って幸せに暮らす」かな。長期計画になるなあ、どうやって実現しようかな。燃えるな。
人生楽しいぜ。
学生時代、ゼミの飲み会に参加すると決まって女子から櫛の歯が欠けるように抜けていったものだった。
わたしはというと、女子ランチは苦手だった(一応参加はしたが、二回くらいで飽きた。話題の大半を占める芸能と恋愛、に付いていけなかったから)が、男子飲みにむりやり参加するのは好きだった。朝まで本や哲学や人生について語りつつ飲みたおして先輩(男)や友達(男)の家で雑魚寝なんてのもザラで、まあ実はそんな、「帰らない女」は、男にとって扱いに困るシロモノらしいというのは途中で自覚したけど。
人生の果てしない課題についてやっと堂々語りあえる場所にたどり着けたと思っていたので、それは結構凹んだ。排除に働かない男は、逆に「女の部分」しか見ていないしね。
結局男にとって、女は「疎外するか/襲うか」のどちらかの存在でしかないのかな。女にとって男は、本質的に「道具」(生活の・子育ての)以外の何者でもないように。
そりゃまあ男女間で友情は成り立たないよね……、ていうか、この世を「男女」で分けると、非常にサツバツとしちゃうなあ。
ランチも飲みも、こころが通う相手とならば、同性・異性問わず楽しめるものではある。
初めて「しゃっぽ」という言葉に出会ったのは新美南吉の「てぶくろを買いに」で、宮沢賢治の童話や三島由紀夫の短編なんかでもときどき出てきていた、それでわたしは帽子のことを「しゃっぽ」ともいうのだと知った。
それがフランス語経由だというのを知ったのはいつだったか覚えていないが、怪盗ルパンシリーズにはまっていた頃だった気がする。
(ちなみにわたしはルパンシリーズのおかげで、小学生にしてフランスの全国紙は「ル・モンド」、ポピュラー車は「シトロエン」、「さよなら」を言うにも「オールボワール」と「アデュー」の違いがわかるようになったので、コドモ向け読書もあながちバカにはできない)
・・・・それで、この「しゃっぽ」だが、弟にはさんざんこきおろされた。
弟「日本人ってすぐフランス語の単語に小さな『つ』を付けたがるけどさー、
フランス語の発音にそんな音はねーんだよ!」
ようするに仏語には促音がないらしく、「しゃっぽ」も正しくは「しゃぽー」だという。まあその場は「へー そうなんだー」くらいに思っていたが、ふとしたことから職場でその話をしていたら、福島出身のワカモノが
「俺のじいちゃん使ってますよ! しゃっぽ!」
などと言う。これは大変に驚いた。
わたしにとって「しゃっぽ」は書物のなかの言葉、いわゆる「文語」であって、いまだ話し言葉で使われているとは思っても見なかったんだけど。でも、しかし、ちょっと調べてみたらけっこう「生きた言葉」なのね、しゃっぽ。主に東北~北海道で方言として使われているみたい。なるほど、だから福島では現役なのか。
ちなみにものごとがダメになるという意味の言葉、「ぽしゃる」も、「しゃっぽを脱ぐ=脱帽、降参」から来ていると知って、これは正直にびっくりした。なんとなく語感で意味を判断していたけど、ちゃんと由来があったのね。
しかし日本人ってひっくり返すの好きだねえ、「はまぐり」→「ぐれはま」→「グレる」とか、「ギロッポンでシースー」(笑)とか。。
大学のころ、民俗学の演習で、分野は問わず・自分が興味ある研究者について調べて発表するというものがあった。柳田・折口あたりの有名どころから、南方熊楠や高群逸枝、はてはクリステヴァなんかも飛び出して、けっこう面白かった。
それでわたしは、宇野円空という戦前の宗教学者について調べた。
何でこのひとを選んだのかというと、まあいろいろあるけど、一番の理由は当時マレーシアに長期旅行に行ったばかりで、マレーシアを対象にした研究者って居ないかなー、居るわけないか、と冗談のようなつもりで調べてみたら、この人が『マライシアにおける稲米儀礼』とゆう本を書いていたから。
円空さんは、戦時中に空襲で自宅および研究の大半が焼けちゃって、失意のうちに亡くなられるという痛ましい最期を終えられたのだけど、そういや修論でわたしが扱った文学者(を目指して、結局なれなかったひと)も、最終的には戦争でなにもかも全てを無くしてしまったひとだった。
なんか、そういう、地味な徒労のひとに、こころうたれる傾向があるらしい。
蒲松齢やカフカやルルフォなんかが好きなのもそういう理由かなあと思う、まあこのひとたちは立派に評価されているが。んーでもやっぱ、少数派の中の評価にすぎないか。
百年でも二百年でも残る本のことをわたしは書物だと思っているが、今の時代、そういう書物を読む人間は既に少数派だろう。
まず いちばん近いインターチェンジの場所がわからない。
→十五分くらいメーター入れ忘れる。
→高速道路の大型車両専用出口から出る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええーーーー!?
それでもあなたプロですか、とか言うのはかろうじてやめておいた。
「知らないとこ走るの、怖いですね~~~~」とか言うのも、、まあ、許す。わたしもそうだし。
でも、ウインカー出さずに左折&右折すんのは、やめて。。
命に関わります!!!