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ゆめ か うつつ か
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マンガや映画を選ぶとき、わたしは好んでハッピーエンドの作品を選ぶ。ハッピーエンドだと気持ちが明るくなるし、前向きになれるからだ。

mはハッピーエンドは好きではない、惹かれないという。ホラーやサスペンスをよく観るのも、そのへんが関係しているのかもしれない。

わたしがハッピーエンド以外の物語を好むのは、活字本の場合だ。思うにわたしは文字に娯楽を求めていないからだろう。わたしにとって文字こそリアル、それ以外はフィクション、生ぬるいもの、向き合うに足りないものなのかもしれない(昨今人気のラノベがもの足りないのも、フィクション色が強いからだろうか)。

「幸福はそれ自体で充足する」って確かボルヘスが言ってたが、付加すべきものがない完璧なる幸福の物語は、思考を放棄させる。安易な物語は陳腐だ、だからこそ文字だけのストイックな活字本という表現方法でハッピーエンドって、難しいのかな。視聴覚的なメディアと違って、文字が刺激するのは脳そのものだから。












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さてわたしは27になるまで、あらかじめ与えられていた自らの身内を覗き、人生に自分以外の他人を容れるつもりはなかった。

何度かお付き合いらしきものはしたが、いざ継続した関係を築かねばならぬ段になるとうんざりしていることに気づくので、到底付き合い続けること、引いては結婚など考えられなかったのだ。相手が悪いのではない。二、三の親しい友人を別として、わたしは誰かといると必ず、ひとりで居るよりもはるかに強い孤独に苛まれるという性があった。それで結局、ひとりでいたほうがましという結論になった。

はじめから終わりまで自分だけの人生を生きる覚悟を決めたらいろいろ楽になった、一生独りでいると決めてしまえば複雑なことはなにもない。就職についてもさほど悩まないで良くなった、自分ひとりなら何をしても食えるだろうし、食えなくなったら死ぬだけで、家族が不要ということは墓も、悼んでくれる存在も不要だからだ。なるべくシンプルに、日々飯を食い糞をひり、こころ穏やかにのたれ死にたい。

そう決意したのが二十代のはじめで、次第にすべてを放棄しつつ余生を生きようとしていた矢先、わたしは、思いがけず恋に落ちた。たちの悪い冗談みたいだが本当の話だ。ここまでくると恋はむしろ落とし穴、災厄に近い。取り返しのつかない愚かしさや思い込み、一生背負うであろう業や、絶望的に面倒くさいもろもろの手続きやらを考えると未だにかるく死にたくなるが、しかしまあそれも含めて恋だ。


つくづく人生は容赦ねぇなと思う。思い通りにはいかない、読めない、わからない。ちきしょう、おもしれえな。
















久々に大学時代の先輩に会った。

卒業してからもいろいろお世話になった大恩あるそのお方に、「転職考えてるんスよ」と言ったら、「がんばってね」という励ましに続いて

「女の子は結婚しちゃえばどーにかなるんだけどねえ」

というお言葉をいただいた。

結婚するつもりのない後輩を心配しての、他愛ない感想に過ぎない言葉なのはわかったので、わたしもさらっと簡単に、

「ま、結婚しても離婚するかもしれませんけどね」

と返した。

結婚しても離婚するかもしれないし、死別するかもしれないし、子供が生まれないかもしれないし、将来家庭崩壊するかもしれない。

そんな心の声が聞こえたのか、先輩は

「そうは言っても、やっぱり生活していくのは大変だよ」と微笑まれた。

心配かけてごめんなさい。先輩が描くような世間一般のいわゆる「幸福」ではないだろうけど、違う形の「幸福」は模索中なんでゆるしてください。

とか思った。










mから仕入れた話。

醤油一瓶をイッキ飲みすると死ぬ、というが、より詳しい原因は、脱水症状らしい。

摂取した過剰な塩分濃度を下げるための体内の水分供給が足りなくなる=脱水症状、なるほどね。

砂漠じゃなくても、真夏じゃなくても、極論を言えば水に浸かりながらでも、脱水症状で死ねるんだね、理論上は。

ちなみにマイフェイバリットスイサイドは凍死。比較的苦痛も少ないし、死体も綺麗だし。思い立ってすぐ実行できないのが難といえば難かな。

お手軽さで言えば飛び込みだが、いろいろ迷惑だし絶対反対。なら醤油飲め、と言いたい。















「自分で稼いだお金で、好きなものに囲まれるのはよいでしょう」



言われてちょっと戸惑った、わたしの好きなものは本で、確かにわたしは本に囲まれて本だらけの部屋に生きている。それは素敵なことだが、しかし、それらの本の大半は、自分で稼ぐようになる前から手に入れていたものだ。

そして、本は服や宝飾品のように身につけたり眺めていれば満足できるものではなく、その内容を熟読玩味する余裕がなければ意味がない。むしろ、読めない本が積み上がるたび悔しさすら感じるようになる。

そういう意味では、稼ぐようになる前のほうがよかった。

「幸福」を測るのは難しい。ブータンみたいな素朴な社会なら基準を決めるのも比較的容易だけど、繁雑極まりない現代日本では、どうしても即物的な面が重視されるし。つまり金とか家とか身なりとか。高価な・理想的なあり方しか認められないという点では、配偶者や子供や家庭っていうのも「物」化してきてるよね。同性愛者や独りもの、不妊症の人は問答無用で不幸まっしぐら、てのもちょいと失礼な話だ。


恐らく現代日本では、金と時間、仕事とプライベートの配分がきちんとできる、バランス感覚のある人が最も「幸福」に近い。












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