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ゆめ か うつつ か
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 読了!

2000年にイタリアで刊行されて英訳本を2003年に見つけた、が・序章で挫折してずっと、待っていた邦訳が、ついに、でた!!!

七年待った本を二日で読み終えるという王侯貴族のような贅沢をしてしまった。ああ、幸せ!!
だから生きるのやめられないんだよな。

以下、はしりがきの内容と感想。

・北イタリアの農民の子、たぐいまれな語学力と想像力、ほらふきの才能に恵まれたうそつきバウドリーノは、神聖ローマの皇帝バルバロッサの養子となり学問をおさめ廷臣に取り立てられる。やがてバウドリーノはその嘘の才能で自らつくりあげた「東方の司祭ヨハネの国」へ仲間とともに冒険の旅に出る・・・

・『前日島』より筋が起伏にとんでいて読みやすかったな。『薔薇の名前』+『フーコーの振り子』わる2、ってかんじ。とくに、バウドリーノが仲間たちとともに作り上げた司祭ヨハネの手紙の「くだりは、『フーコー』を思い出した。

・前半は歴史もの、後半は幻想・怪奇・冒険・伝奇と、とにかく多彩! 後半だんだん世界観が壊れてきて、それがまたいい味だしてる。叙事詩のおもむき。

・随所にこまかいギャグがちりばめられてて最高。預言者ヨハネの六つの首とか最高に笑った! アサシンの谷、プレスター・ジョン伝説、アーサー王物語(12人の騎士!)、賢者の石、聖骸布、ユニコーン、そのほかもろもろのヨーロッパの伝説・伝承をごった煮にしたってかんじ。それがちっとも雑に見えないのがエーコのすごいところ。バルバロッサの死をめぐるミステリーのオチは読めたよ!

・読んでいてものすごくときめいたのは、ヒュパティアとバウドリーノの恋物語。なんつうか、どの物語でもそうなんだけど、エーコの書く物語って主に男がくるくる走り回ってて、女性はほとんど出てこない、でてきたとしたら一瞬だけものすごく大事な役割をはたすっていう。女がとても神聖なものにおもえる。

・あと、ごはんの描写がちくいち、おいしそうでよい。おなかすく。

・ようするに徹底的に敗者、民衆、語られてこなかったひとやものや出来事についての物語だと思った。






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百円ワゴンセールで、探していた岩波文庫版『耳嚢』の中と下をゲットした。数年前に上を五百円くらいで買ったので、これはかなりお得だったと思う。

基本的に続刊ものは揃いで買っているのだが、心から欲しいわけではないけれど持っていたい、いつか古本屋で巡り会えそうなものは、基本的に「待ち」がわたしのスタンス。

他に待ち中のものとしては、岩波の『紅楼夢』三巻以降、ちくまの『中世の秋』下巻、河出の南方熊楠コレクションの三巻以降など。全部文庫なところが、なかなか集まらない理由。





日影丈吉の戦後の推理ものに木々高太郎、久生十蘭、ルルフォ、チェーホフあたりを相変わらず読んでいる。
マンガはパタリロとか。ギャグが下らなくてとてもよい。

 福引につられ、また買ってしまった。まあS社の推理文庫は以前から集めていたし、『妖怪の民俗学』は神保町でもっと薄汚れたやつを買おうかどうか迷ってたとこだし、ババヤガーの絵本は絵がステキだったし。

これで福引に当たってたら言うこと無いけどな!





福引の裏方をやったことがあるという姉いわく、当たりは初日~中日まで入れておかないのだそうだ。最初のほうで一等が出てしまったら客寄せの意味がないからだという。狙うは最終日の終了間際、そのあたりではどんどん出るという。

理屈はわかるけどさ、それって、インチキじゃん!

と 憤慨していたら、mに「そういう工作って常識だよ・・・・」と哀れまれた。

工作なしで生きてます!(=コドモです!)














夏になると、義兄の家から毎年石垣島産のマンゴーがお中元として送られてくるが、そのほとんどは南国フルーツ好きな父と弟に食いつくされる。わたしはマンゴープリンやマンゴーミルクは苦手だが、生のマンゴーはわりと好き。

 さくらんぼは、mんちからおすそわけしてもらったやつ。

 花切り。したたる黄金の果実。

マンゴーはインド・スリランカ原産で、仏典にもよく出てくるので、仏教では聖木になっているらしい。釈迦はマンゴーの樹下で修行してたらしいけど、なんかこう、キリストが荒野で修行したのに比べると、だいぶんほんわかしてるよね。

インドではカレーによくマンゴーの調味料を添えるけれど、日本の福神漬けはこれを真似たものではなかろうか、と『熱帯の果物誌』(岩佐俊吉著・古今書院)に書いてあった。この本おもしろいからオススメ!




夏の夜は怪談だよね、と思いながら遠野物語や耳袋、聊斎志異、とんで小泉八雲や岡本綺堂の随筆なぞを捲っている。とかく寝苦しい夏の夜は、すらすら読める短編がいい。

『文豪怪談傑作選』(ちくま文庫)より、なかなかにぞっとできる話をひとつ。

百物語の座で、ある男が、かつて惨殺された尊王志士「田中河内介」父子の末期の話をしようとする。ところが、前口上を述べたところでいつのまにか話は元に戻り、同じところをぐるぐると話すようになる。そうして「カワチノスケは、カワチノスケは…・・」と、ついには死んでしまう。

「田中河内介」の話だが、さまざまな作家のバリエーションがあって面白かった。言い伝えでもなし、同時代の、同体験の話でもあるのに、作家によって多少の差異があるのは、怪談ならではというか。

「口裂け女」や「人面犬」、「トイレの花子さん」などの話にも瞬く間に亜種・変種が出来たものだ。こうした流言蜚語や都市伝説というのはたいてい創作者不明だが、そうしたクレジットが無いからこそ、自由に改変されてゆくのだろうと思う。

 

さて 「あくのじゅうじか」は、怪談に見せかけて実は笑い話だった、という言葉遊び(「悪の十字架」=「開くの十時か」)だが、・・・・・・・・・・こういうくだらないのってほんと、誰が考えてるんだろね。すごいよね。


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