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なぜアコガレかというと、カレーといえば「じゃがいも、にんじん、たまねぎ」が定番(これらの野菜はまとめてカレーセットとも言われる)。うちはこの定番カレー以外食卓に登ったことはないし、またキャンプや林間学校につきもののカレーはいわば「山のメシ」で、その山のメシに海の香りが漂うところが既に非日常感をかもし出しているではないか。
考えてみれば、好物(エビカニ)ぶっこんでる時点でうまくないわけはないのだけど、今回は「高級食材を使うので絶対失敗したくない」と分量や煮込み時間などを丁寧に、規定どおりにしたのも一因だろう。普段のカレーだったら計量なんてしないもんね。目分量だしあまった野菜は何でも入れるし。
また作る。。
六本木だとか広尾とかその辺りは大使館が近いので、コンビニにフランスやらイタリアやらの水が売っている。フランスだろうがイタリアだろうが水は水だぜ、砂漠で迷った人間は、ドブの水にも金を積む。日本みたいに温泉も台風も湧き水も豊富な場所で水に金を出すのは正気の沙汰ではないと思っていた。酒ならいくらでも歓迎だけど、水なんかわざわざ 輸入するなんてバカじゃねえの? そんなの飲んでも痩せたりはしないし ましてやフランス人やイタリア人になることなど できない。
って、原発が爆発するまでは、思っていた。
いやー怖いね、まさかほんとに水を買わねばならぬ時代が来るとは。「水と安全はタダって思っているのが日本人」、なんてもう昔話なんだなあ。安全も金で買う時代が来てるもんね確かに。
ところでわたしがしたいのはそんな無粋な話ではない。
宇治の小学校では蛇口をひねるとほうじ茶が出てくるが、
古代中国では茶は酒に並んで珍重された飲み物だった、という。釈迦の生誕時に降ったという甘露の雨を甘茶になぞらえるとおり、茶は聖なる飲み物だ。とすれば宇治は現世における数少ない聖地なのかもしれない。乳と蜜の流れる土地ならぬ、ほうじ茶の流れる土地、というわけだ。こんなファンタジーをものした宇治市はかなりステキだとわたしは思っている。
小・中学のころ、「せんせーおなか減ったー」といったら「水でも飲んでなさい」といわれ、素直にごくごく水道水を飲んでいた時代があった。カルキのにおいがしてひじょーに不味かった、が少なくともそれには放射能は入ってなかった。水と安全がタダな時代、それもいつかファンタジー、神話伝説の類になってゆくんだろう。
餃子食べたい!→食べて満腹になる→お腹が減る→餃子食べたい!の繰り返しで、満足したからもう当分いーや、という境地に至らない。ちょっとでも餃子に関するものを見聞きするとすぐ発症する。ちなみにわたしは焼餃子ではなく水餃子派なのでなおさら、食べられる場所が限定される。。
皮が薄くてパリパリの、いわゆる「羽つき」焼き餃子は日本でできたもの。本場中国の餃子は基本水餃子。もちもちしてて熱々で、中にはプリッと肉のあん。それだけでおかずと主食を兼ねるボリューム。昔、友人宅であれを洗面器いっぱいに出されたときはびっくりした。肉も羊・豚を取り混ぜてあり、本当に旨かった。ああ。食べたいなあ、餃子。
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神保町、スイートポーズの水餃子。一人前(八個)670円。んまいよ。