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ゆめ か うつつ か
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犯罪とその刑罰について、弟と何度話しても意見がくいちがう。わたしのようなおひとよしでなまぬるい考えでは犯罪はなくならないと弟は言う、「罪を犯したら罰するべき!」。

それはそうかもしれないけどさ、他人から与えられる罰では意味がないと思うのよね、みずからこころから悔いて一生そのつぐないに生きること、これは死刑なんかとはくらべものにならないほどつらいと思うんだけど。なんとか罪を自覚し悔やむこころを育てることができないものかしら。





なんていえるほど自分は高潔な人間ではなくむしろたいへん問題の多い人間で、ああまた失言してしまったと毎日ひゃっぺんほどほぞを噛んでいる。思ったことほいほい言うのやめようよ!おごってもらうのに、食べられるかどうかわかんないものを頼むのも失礼だよ!

難儀な人間だなぁ。



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わたしが旅した時もテロで列車が爆破されたばかりで、漢族の友人には「あんな危険なところに行ったら殺されるよ」とえらく心配された。実際行ってみたら日本人は大歓迎、「戦争のときによくぞあれだけ中国人を殺してくれた!」。

……嬉しくないよそんな歓迎!

でもそれで解った、漢族はウイグル族をあたかも凶暴な野獣のように思っていて、ウイグル族は漢族を、虐げられた奴隷が主人を憎むように憎んでいること。

根は深い。

それぞれがそれぞれに自由に生きるためには必ず妥協や譲歩が必要で、そのルールを決めるために政治があるはずなのだけれど。強者のルールだけがまかり通るのもよくある話で。でもそれが結論だなんてお粗末なことはナシにしようぜ。

わたしは漢族にもウイグル族にも友人が居るし、どちらも好きだ。信じたい。





黒ゴマきなこ豆乳!香ばしい。


25歳年上の男と結婚した友人の話を弟にしたら、「女は基本的に年上に幻想を抱いてるもんね」と言われた。

年上だから頼りがいがあるとか年上だから守ってくれそうとか、そんなの確かに幻想で、それは「おんなのこなんだから」って言われるのにも似てる。

ちなみに「おんなのこなんだから」の後には「かわいいものが好き」「こども(動物)が好き」「料理が上手」などが続く。これは言うなれば「日本人なんだから和服着て正座して三食とも米食って文房具は筆と墨汁」って言われるのと同じくらい現実離れしている同定の仕方だと思う。

それでも、年齢の多寡による「らしさ」幻想は男女の「らしさ」幻想ほど根深くはないはずだ。性別という生得的なファクターと異なり、年齢ってのは経験的・習得的な問題だから。人生の経験値が高ければ、ひとは必然として成熟に近付く。年経た人間が頼れるのはそういう論理で、自然と身につくものだが・男女の「らしさ」というのはこうはいかない。

っていうかそんなこと言ったら、「男は基本的に年下に幻想を抱いている」だろう!谷崎潤一郎やらマルケスやら・多くの作家がロリコンをテーマに書いてるけどさあ、作品中における少女の役割と言ったら「聖女」そのもの、無味無臭・無色透明・ガラスケースに陳列されてますって感じ。

本物の少女というのはもっと強かだししなやかだしケモノ臭いんだぜ!


 

デュルケムの自殺論を古本屋で見つけて350円だったのでお買い得と思って買った。

この本は2005年くらいに読んでいて、その頃わたしはまだ社会学と髪の毛一本ほどの繋がりで辛うじて接していたのと、自殺ということについてわりとよく考えていたので読んだ。でもF先生には「誤読してますね」といわれた、それでとても悲しかった、その頃わたしは何を読んでも誤読していると言われていたから。

で、今もまた、読んでいる。

近代ヨーロッパにおける自殺の類型と、そこから導き出される現代社会の構造と個人の危機を書いた、ってよく書評なんかで書かれてる、そんで、「アノミー」っていう概念を使ったのが新発想だったらしい。アノミーっていうのは社会秩序が急激な変化を迎えて欲求と価値の混乱が起こるときに怒る葛藤のこと。無規律状態、イメージとしては戦時中とか戦後とか、そう坂口安吾の「白痴」「わたしは海を抱きしめていたい」的世界かな。

アノミー状態のとき 自殺はよく起こる、

今、日本の自殺が増えてるみたいに。


さて面白かったこと。

◎既婚者のアノミー的自殺は少ない、だがそれは男性に限られることで、女性にとっては既婚者の方が自殺が多いのだ。つまり結婚生活における夫婦の利害は相反している、男女どちらかが犠牲になる。

・・・これは実に納得のゆく話だった、女の幸せは結婚がすべて、と言う世のお母様たちはきっと旦那を殺しているのだろうと思う(もっともデュルケムの頃と違って今は女性も社会進出してるけどね、どうも日本には根本的な格差がなくならない気がする)。





・・・わたしがこの類型に当てはまるときが来るとしたら多分「自己本位的自殺」だろうな、mは「自殺はエゴだ」とゆっていた、mにそういうことを言わせるのはとても申し訳ないと思ったがこのテーマはわたしの根源的な問題なので避けては通れないんだ。それはmを、家族を、友達を愛していることとはまったく別のことで。

根源っていうか
死=無限(アンフィニ)、死ぬことではじまる、そういうものをゆめみている。
こういうのも東洋的な思想かな、どうかな。

でもわたしはやはり俗人なので、
そういう形而上的な死を想うのと別に、大変身体的な、心情的な理由から生を願っている、逆に言えば今mと会えなくなったら多分死ねます。。


いずれにせよ今は生きてるのが楽しいので死ぬつもりは無いです。

ツァラツストラかく語りき。

山手線にはねられた、という出だしの、あれは志賀直哉の『城の崎にて』という小説だった。高校の頃、国語の自習時間にわたしの真後ろの二人が音読をはじめ、件の冒頭を読むやいなや

「もう死んでるじゃん」
「一行目で終わりじゃん」

と まじめに議論していた、わたしはその会話を聞きながらふきだすのを堪えて苦労していたのを覚えている。

昔のことで車両も少なかっただろうし、今のように凶悪な速度で都心を駆けていたわけでもあるまい。ましてや中央線などという凶器さながらの電車が毎週のように人を轢き殺している現代では、まあおよそ現実感のない出だしではある。

ところで一日平均 92 らしい。何がって自殺する人の人数が。

戦後すぐの日本でも自殺が流行ったというけれどね、あれは一種の流行だし現代においても自殺とはファッションの一種であろうというのがわたしの意見。自殺するくらいイージーな決断は無いし人生ってもっと複雑、泥を被ろうがなんだろが生きること、生き抜くこと。命あるかぎりはね。







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