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ゆめ か うつつ か
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もちろんワインの話ではないしスタンダールのもじりでもない、ただの笑い話。


兄の友人X君が、中学三年生の家庭教師をすることになり、行ってみたらそこはヤクザの組長さんのおうちだった。今更帰るやめるは言い出せないし さりとてなんとか希望の高校に入れることができなければどうなるか、考えるだに恐ろしい、と どちらかといえばあまりよくできない部類のお子さんに、しにものぐるいで家庭教師をしたそうな。

その甲斐あってか、お子さんは無事志望校合格。安堵のあまり脱力するX君に、父親である組長さんは「ところできみ、赤と白ならどっちが好きかね?」と 訊ねた。X君は質問の意図を汲み取れず、首を傾げながら「赤すかね」と 答えた。

そして少し経った後、X君のもとに赤いフェラーリが納車されたそうな。


白だったら何の車だったのかね、などと ひとしきり笑っていたが、うらやましいようなそうでもないような。





兄の通ってた大学は四国にあって、わたしも15の夏に一度、あそびにいったことがある。そこで兄は考えられうる限りの自堕落な生活、つまりは 健 全 な学生生活を送っていた。時期を異にして行った弟はそのあまりの生活ぶりに嫌悪を覚えたらしいが、わたしはすんなりとけこんで、昼夜逆転 一日一食生活をそれなりに愉しんだ。兄ちゃんいきつけの定食屋で、サラダをおまけしてもらったのを覚えている。 おんなのこだから らしいが、それで兄ちゃん行きつけの店がどういう体裁をしていたかがよくわかると思う。

あと、温泉で長湯しすぎてぶったおれたら、見知らぬおばちゃんが水を飲ませてくれたのも覚えてる。


わたしはけっこう好きだった。




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久々にこたつを囲んで家族と世間話していたら、Dちゃんから五年ぶりくらいに電話が来た。

「久しぶり~俺のこと覚えてる??」

覚えてるもなにも。

DちゃんとY君と私は砂漠で出会い、私はカシュガル、Dちゃんはベトナム、Y君はインドへ行く途中だった。みんながみんな、無謀な旅で自分を殺してしまいたくて必死にもがいていたと言える。‘自殺する者はしばしば最も生きたい者である’、それで意気投合した私たちは一週間ほど行動を共にしていた。言わば同志のような存在なので、何年経っても忘れようもない。

「いやあ、携帯見てたらりうちゃんのアドレスがあったから懐かしくなって。まだ通じるかな~かけちゃお!って」

そりゃ通じるよ。まだお芝居やってんの?と尋ねると、

「うん。まだ書くことやってんの?」

うん……

じゃあねバイバイ、って切ってから、あまりの変わらなさにちょっとくらくらした。そういやY君からもにさんち前にメールが来ていた。シンクロかな。春は不安定になるからな。まあ野垂れ死にしなきゃ、しても、それでいいよDちゃんは。





ミカンパン。味としては、メロンパンに近い。葉っぱに見立てたかぼちゃの種が刺さってるのが可愛い。



あたしが「愛」を書くことに拘るのは、形の無いものに形を与えたいと思っていることもさることながら、あたしには「真に誰かを愛することは生涯無いのではないか」と言う虞れがあって、愛なき生を生き抜くにはあまりにも脆弱な自分を自覚しているので、どうにかこれを解き明かしたい、知りたい、愛を知ることが愛することの代わりになると思っている・・・

↑ 一年ほど前の雑記で描いてた、たわごと。

相変わらず愛って何かまったくよく解ってないけどその言葉を使いたいと思うひとは出現した、
G・モロー描くサロメの画で「出現」てのがあるが・あのときのサロメは上目づかいで空中にひかりかがやくヨハネの血もほとばしる生首を睨んでいたすなわち「虞れていた」、・・・

・・・わたしの虞れは杞憂に過ぎなかったのかしらどうかしら。でもとりあえず、これまでの恋愛沙汰はどっちかっていうと「巻き込まれる」感覚に近かったが、今は正真正銘「恋愛してます」と胸張って言えるよ。生きるの楽しい!ツァラツストラならなんというだろう、「わたしは人間を愛している」とでも???
こういう変化を待ってたわけじゃないしできれば一生恋とか愛には関わらずひっそりと、海の底の貝のように生きていきたかったんだけど人生ってわからんもんだね。

今まで気恥ずかしくて正面から書くの避けてたけど、恋愛しています。ようやくしています。

だって旅してても何を見ても何を食べても思い出されるとか、恋しくて寂しくて会いたいとか、なんて陳腐なんだろう!!!?恋する前のわたしだったら鼻で笑ってた現象だぜ。

うんでもいいよ陳腐でも。だって生きるの楽しいから!幸せだから!

愛だとか恋だとか執着だとか恋着とだか欲望とか自己満足とかいろいろ言い換えられるだろう、その全てが正しいのだろう、わたしはmを、この上なく・・・・・・。




同じたわごとでもずいぶん幸せなたわごとだと我ながら 思う。












補足。「倫理的にアウト」の話ね。

前置きとして、、

もともとわたしは道徳倫理は苦手なんだ、わたし自身、道徳倫理から遠く離れたところで生きてる自覚があるんでね。何せ学生時代の「道徳と倫理」の講義、Cだったからね。200人近い大教室での講義はほぼ全て出席し、質問カードも毎回ぎっしりで提出、そうしたわたしの疑問がプリントに取り上げられたことも2、3度ではなく、テストもばっちり受けたのに、C。これはもうわたしの考えそのものが道徳倫理的にCであると、納得いかないながらむしろ誇らしいような一種の感慨を覚えたものよ。あんだけ頑張ってCってことは、頑張らなかったら落第してたんだろうなってくらいに。

そんな感じに、ひと一倍頑張らないと道徳倫理的になれないような人間なんですわたしは。

つうかね アクティブ=行動的であること、好奇心旺盛であること と、道徳倫理的であること は、なかなか両立しがたいのよ。『エチカ』に手を出そうとして演繹法にうんざりしてやめちゃった人間ですからね、人だの神だの自然だのそんなんどーでもいーの、ようはわたしがわたしの基準で正しく在ることができているか。

そしてその基準はまだ固まってないの。わたしを「卵の中身」ってゆったのはRちゃん君だろう。わたしは基準を作らないことによって存在できているの、ゆらゆらふわふわしながらとらえどころなく固まりもせず。
道徳倫理って「こうあらねばならぬ」のオンパレードだから・苦手なのかな。
言ったけど、

・人を殺さない/ゴウカンしない

これと 麻薬はやらない、くらいじゃないかなわたしの倫理的タブーって。

ようは他人を傷つけるなってことで、ひとつだけ確実にいえるのは、わたしは基本的に、人間を愛している。

大切なのはそのときに自分が生きてる世界を読むことで、これを読み違えると大変だから。学問の世界なんて常に抜き身の刀で切りあってるようなもんだったが 家庭やお仕事や交友関係でそれはできないし。





一応ね 調べてみたら

道徳=社会規範から生まれた慣習のこと
倫理学=善や道徳的行動についての学問

だって。なるほど社会規範ね。穿ってるわあ。社会なんてわたし いまだちっとも馴染めていないもの。

そういうわけで、社会規範を前提に発言者の倫理観を照らし合わせてみると、わたしの言葉の意味もそれなりにつかめるのではないのかしら。。

おそまつさまでした。



 

H駅前にある喫茶店は、ケーキが美味く価格も良心的なうえメニューにも工夫がある、なのに近所のDトールに客を取られていつもがら空き。

チェーン店は確実な味を提供してくれるが、しかしこのままだと日本には無個性な店がはびこり画一的な味に馴らされてしまうんではないかしら。うん、このくらいの主張はむしろ必要よね!





大学の頃、学内にあった喫茶店は、こぢんまりした中庭に面し落ち着いたスペース、味のあるマスター、そして味の無いカレーで名高かった。わたしの恩師は「あそこもなあ、カレーとコーヒーさえ旨ければなあ」とよく嘆かれておられたものだ。

実際不味いコーヒーというのは味わっておくものだ、そうするとDトールの有り難みがよくわかる。

結局、けっこう、好きですDトール。でも地方/郊外の喫茶店を殺さないであげてね。。






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